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福岡高等裁判所 平成7年(ネ)954号 判決

控訴人

森部聰子

右訴訟代理人弁護士

辻本育子

原田直子

林健一郎

松浦恭子

被控訴人

九州朝日放送株式会社

右代表者代表取締役

涌井昭治

右訴訟代理人弁護士

三浦啓作

奥田邦夫

岩本智弘

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人の当審における予備的請求を棄却する。

当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一申立

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

控訴人が被控訴人に対し、アナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位にあることを確認する。

2  控訴人がアナウンス業務を継続することを要求しうる労働契約上の地位にあることを確認する。(当審において追加した予備的請求)

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  主文第一、第三項同旨

2  控訴人の当審における予備的請求にかかる、訴えを却下する。

第二事案の概要

本件は、放送事業を営む被控訴人と労働契約を締結した社員として、アナウンサーとしての業務(以下「アナウンス業務」ともいう。)に従事していた控訴人が、被控訴人から配転命令を受けた結果、アナウンサーとしての業務に従事することができなくなったとして、アナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位にあることの確認を求めた事案である。原審が控訴人の請求を棄却したので、これを不服とする控訴人が控訴した。

一  争いのない事実等

次のとおり一部を改めるほかは、原判決二枚目表八行目から同四枚目表末行までに記載のとおりであるから、これを引用する。

原判決四枚目表八行目の「平成五年二月一七日」から一〇行目の「稼働し」までを「満五五歳に達した平成五年二月一七日定年とされたが、翌一八日から継続雇用され、被控訴人の社員(従業員)として」と改める。

二  争点とこれに関する当事者双方の主張

(主位的請求)

1 控訴人と被控訴人との間の労働契約(以下「本件労働契約」という。)において、控訴人の職種がアナウンス業務に限定されていたか(争点1―請求原因)。

(控訴人)

控訴人の職種はアナウンサーに限定されていた。その理由は以下のとおりである。

(一) テレビ・ラジオ放送におけるアナウンス業務は、日本語その他の放送用語についての正確な知識、一般的な教養、社会常識はもとより、的確な言葉の選出、発声、発音、話術や臨機の注意力、理解力、判断力等、アナウンサーとしての独特の技術、能力を要求され、更にテレビ放送の場合、カメラを通じて映し出される人間的な暖かさや信頼感、各種のタレント性をも必要とする高度に専門的な業務である。しかも、これらの知識、技術、能力等は、アナウンサー自身の不断の努力、訓練と長年の実地の経験とによって初めて獲得され増進される、極めて専門性の高い特殊な性質を持った職種であって、放送会社における他の業務とは異なる性質の職種である。このような特殊な性質の職種であるアナウンサーに関する労働契約は、職種を限定するものではないという明示の合意又はこれに比肩しうる黙示の合意等、特別の事情がある場合を除き、職種を限定したものとみるべきである。

(二) 被控訴人は、昭和三六年当時、アナウンス業務の特殊性を認識していて、一般職種とは別個にアナウンサーを公募し、主としてアナウンサーとしての適格性を審査するための試験を行った。控訴人は右の試験に合格して被控訴人に採用されたもので、被控訴人はその後も控訴人にアナウンサーとしての研修を受けさせている。右のような控訴人の採用経緯に照らしても、本件労働契約がアナウンサーに職種を限定したものであることは明らかである。

(三) 被控訴人の就業規則には、従業員に対して辞令をもって転勤又は転職を命ずることがある旨の規定が存するが、この規定は、アナウンサーという職種を限定された本件労働契約に優先して適用されるものではない。

(被控訴人)

控訴人の職種はアナウンサーには限定されていなかった。その理由は以下のとおりである。

(一) 被控訴人の就業規則では、従業員を社員・準社員・雇員の三つの資格に分類しているだけで、アナウンサー等といった職種によっては分類していない。したがって、アナウンサーを採用する場合にも、一般の社員と区別して採用するわけではない。

(二) 被控訴人の就業規則一九条には、「会社は、業務上の必要により、従業員にたいし辞令をもって転勤または転職を命ずることがある。」と規定されている。また、被控訴人と民放労連九州朝日放送労働組合(以下「KBC労組」という。)との間では、昭和五五年二月一日付で「配転・転勤に関する協定書」という労働協約が締結されているが、その一条一項には、「配転および転勤については、平素から本人の意向を聞き、本人の意向は、できるだけ尊重する。但し、特殊技能を必要とするアナウンス、技術、美術、配車、電話交換および保健室から一般への配転については本人の意向を十分に尊重する。」と規定されている。したがって、被控訴人においては、アナウンサーを含めた全従業員が配転の対象とされている。

(三) 被控訴人においては、アナウンサーとして採用し、アナウンス部に配属した者であっても、番組の変化に応じて、個人の適性等に基づき他の部署に移(ママ)動させることが通常のこととして行われており、これは放送業界全体の傾向である。また、アナウンス部に配属されたアナウンサーのほとんどが、アナウンサーとしての能力の限界を認めて自ら現役を退き、後進に道を譲り、又は積極的に他の業務を経験することを意図して、四〇歳代半ばまでにアナウンス部から他の部署へ移(ママ)動しているのが実情であり、定年である五五歳に至るまでアナウンサーを続けた者はいない。

2 仮に本件労働契約が職種を限定していたとしても、控訴人が第一次配転(アナウンス部から情報センターへの昭和六〇年三月一日付配転命令)を承諾したことにより、本件労働契約は職種を限定しないものに変更されたか(争点2―抗弁)。

(被控訴人)

被控訴人は、昭和五九年夏期の人事異動期以降、控訴人に対し、アナウンサーを引退し、アナウンス部から情報センターへ異動することについて意向打診をし、説得を重ねたところ、昭和六〇年二月、控訴人はこれに応じて情報センターへの異動を承諾した。その際、控訴人は、アナウンス部から他の部署に異動することが、アナウンサーたる地位を喪失し、アナウンス業務以外の業務に従事するという職種の変更を伴うものであることを十分に認識していた。

(控訴人)

被控訴人は、昭和六〇年二月一四日、控訴人に対し情報センターへの異動について意向打診を行い、控訴人がこれに応じない旨の返事をすると、同月一九日、当時の情報センター部長小林謙一を介して、情報センターに異動した後もアナウンサーとしてマイクの前で話す仕事、すなわちアナウンス業務に従事することを保証する旨を約した。控訴人は右約束を信じて配転に同意したのであって、アナウンサーたる地位を離れることを承諾したものではない。控訴人は、情報センターへの第一次配転後も、「KBCトピックス」や「朝日ローカルフラッシュ」といった番組のアナウンス業務及びラジオニュースのアナウンス業務に従事しており、その後、被控訴人の機構改革に伴って情報センターが廃止され、ラジオニュース班所属となった後も、同様にアナウンス業務に従事し続けていたものであり、このことは、第一次配転に際して、被控訴人が控訴人に対し、情報センターに異動した後も控訴人にアナウンサーたる地位を保証した証左である。

3 仮に本件労働契約が職種を限定していたとしても、第二次配転(情報センターの後身である報道部ラジオニュース班からテレビ編成局番組審議会事務局への平成二年四月一六日付配転命令)がなされたことにより、本件労働契約は職種を限定しないものに変更されたか(争点3―抗弁)。第二次配転は無効か(争点4―右の抗弁に対する再抗弁)。

(被控訴人)

(一) 第二次配転には合理的理由がある。すなわち、〈1〉被控訴人は、平成二年四月にラジオ関係の編成を大幅に変更したが、これに伴い、控訴人が所属していた報道部に余剰人員が生じた。〈2〉当時、控訴人はラジオニュースの編成業務に携わっていたが、被控訴人は、控訴人について、ニュース感覚に偏りがあり、また、自己主張が強く、協調性に欠けると判断していたため、控訴人を異動の対象とすることを決断した。〈3〉一方、被控訴人は、控訴人について、几帳面であり、整理整頓する能力に優れているとの判断を下していたことから、テレビ編成局番組審議会事務局図書資料室の勤務が控訴人にとって最も適しているとの判断をした。

(二) 被控訴人は、控訴人に対し第二次配転の辞令を発するにあたり、意向打診と内示とを同じ日に行ったところ、控訴人及びその要請を受けたKBC労組から意向打診及び内示に関する労働協約上の手続を履践していないと抗議されたため、この問題についてKBC労組と団体交渉を行った末、右辞令を撤回することとした。そして被控訴人は、改めて第二次配転についての意向打診及び内示をした後、平成二年四月一六日付で辞令を発した。

(控訴人)

第二次配転は以下の理由により無効である。

(一) 労働契約違反

本件労働契約はアナウンサーに職種を限定したものであるところ、策二次配転は、控訴人をアナウンス業務とは全く関係のない部署へ異動させるものであるから、本件労働契約の範囲を超えた無効なものである。

(二) 労働協約違反

(三) 人事権の濫用

右(二)及び(三)の各主張は、原判決一一枚目裏末行から同一六枚目表七行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

4 仮に本件労働契約が職種を限定していたとしても、控訴人が定年退職したことにより、本件労働契約はその効力を失ったか(争点5―抗弁)。

(被控訴人)

控訴人は平成五年二月一七日に被控訴人を定年退職したから、同日付でアナウンサーたる地位を失い、アナウンス業務に従事する地位を失った。なお、控訴人は、再雇用制度により再雇用され、被控訴人からテレビ編成局番組審議会事務局勤務とするとの辞令を受けて今日に至っている。

(予備的請求)

1 右訴えに確認の利益があるか(争点6)。

(被控訴人)

アナウンス業務を継続することを要求しうる労働契約上の地位なるものの確認判決がなされても、控訴人と被控訴人間の紛争解決にとって有効、適切ということはできないから、確認の利益を欠く。

(控訴人)

右訴えは、控訴人が個別・具体的合意=契約に基づく自らの権利の確認を求めるものであるから、確認の利益がある。

2 第一次配転に際して、被控訴人が控訴人に対してアナウンス業務に従事することを保証したか(争点7)。

(控訴人)

第一次配転に先立つ昭和六〇年二月一九日、被控訴人は、情報センターの部長小林謙一を介して、控訴人に対し、情報センターに異動した後もアナウンス業務に従事することを保証する旨を約し、これに応じて、控訴人は第一次配転を承諾した。控訴人の第一次配転に対する承諾は、右のような被控訴人の保証に応じてなされたものであるから、仮に控訴人がアナウンサーの地位にないとしても、アナウンス業務を継続することを要求しうる労働契約上の地位にある。

第三証拠

原審及び当審記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

第四当裁判所の判断

一  前記「争いのない事実等」と、証拠(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  控訴人は、昭和三五年三月に西南大(ママ)学文学部を卒業後、一年間のアルバイト生活を経て、昭和三六年四月、被控訴人の女性アナウンサーの募集に応じて、入社試験に合格し、同年五月一日、被控訴人に社員試用として採用され、同時に、報道局(当時は編成局)アナウンス部に配属された。その際、定年までアナウンサーとして雇用することの合意はなされていない。入社試験では、アナウンサー志望者以外の受験者と同様の筆記試験のほか、アナウンサー志望者だけに課される原稿読みやフリートーキング等の音声テストを課せられ、入社後は、約二か月間にわたって、先輩アナウンサーから、五十音の発声訓練、原稿読み及びフリートーキング等の研修を受けた。控訴人は、同年六月二六日、初めてのアナウンス放送を行い、以来、昭和六〇年三月一日、報道局情報センターに異動する(第一次配転)まで、主としてテレビ・ラジオのアナウンス業務に従事していた。

2  控訴人は、昭和五七年ころから、報道局のチーフアナウンサー兼報道委員専門局次長田上悌三や、報道局アナウンス部長臼井康博から、抽象的に異動を打診されるようになり、昭和六〇年二月ころには、右臼井康博や報道局情報センター部長小林謙一等から、具体的に異動先を報道局情報センターと示して異動を打診された。特に、右小林謙一は、「同情報センターに来れば、しゃべるチャンスはいくらでもある。」などといって説得にあたった。そこで、控訴人は、配転先の職務にアナウンス業務も含まれていると考え、右異動を承諾して、同年三月一日、同情報センターに配転された。

3  報道局情報センターは、昭和五七年四月一日、主として、ラジオ・テレビの制作現場への資料提供のため、自治体や企業の広報誌等から情報を収集することを目的とし、あわせて、朝日新聞社からファックスで送られてくるニュースを放送用に手直しして編成する作業を報道局報道部から移管することとして、新設されたものであって、本来、アナウンス業務をその所管とするものではなかった。控訴人の同情報センターにおける業務は、主として右の情報収集やニュースの編成業務であったが、右以外に、毎日一分間位の「朝日ローカルフラッシュ」という展覧会情報等のラジオ生番組につき、報道局アナウンス部が右番組を引き取った昭和六〇年五月ころまで(その後、控訴人は右番組に代わり「エリアカレンダー」という日曜日に一〇分間放送されるラジオ録音番組を担当するようになった。)、毎日一分ないし一分二〇秒位の「KBCトピックス」というイベント情報等のラジオ生番組につき、同アナウンス部が右番組を引き取った昭和六三年三月ころまで、それぞれアナウンス業務を担当していた。

4  控訴人の所属していた報道局情報センターは、昭和六二年八月一日、報道局報道部に吸収されてラジオニュース班と呼ばれるようになり、ラジオニュース班では、ニュースの編成業務のほか、デスクを除き、控訴人ら五名の班員がローテーションを組んで一日に三回、各回三分ないし五分間のニュースを放送用マイクに向かって読んでいた。平成二年四月一日、ラジオ放送の番組改編により生ワイド番組が拡充され、ラジオニュース班が読んでいたニュースは、一部を除いて、右番組のキャスター又はサブキャスターが番組の中で処理することになったため、ラジオニュース班は解体され、班員三名が異動の対象となった。控訴人も右の異動対象者とされ、同年三月ころから、当時の報道局報道部長山中尚や、当時テレビ編成局番組審議会事務局長であった臼井康博による同事務局図書資料室への異動の説得を受け、これを拒否し続けていたものの、同年四月一六日、同事務局図書資料室に配転された(第二次配転)。なお、その後の同年五月一五日、報道局アナウンス部は解体され、所属のアナウンサーは他の部署に配属されてアナウンス業務を行うことになった。

5  被控訴人で実施されている賃金体系において、アナウンサーと他の部署の従業員との間に差異はなく、ただ、報道局アナウンス部に所属するアナウンサーには、特技手当として、月額八〇〇円のアナウンス手当が支給されていたもので(被控訴人が支給している特技手当には、アナウンス手当のほか、無線技術士手当、電気主任技術士手当、運転手当がある。)、控訴人も同アナウンス部に在籍中は右のアナウンス手当の支給を受けていた。

6  被控訴人に採用されたアナウンス業務志願の社員は、まず、報道局アナウンス部に配属されるという制度がとられていたが(同部解体前)、定年の五五歳まで同アナウンス部に所属していた者は皆無に近く、女子アナウンサーで結婚や出産等によって退職した者は別として、ほとんどの者が、およそ四〇歳代までに、放送部編成課、放送部制作課、制作局、総務局、報道局情報センター、企画局事業宣伝部、報道制作局制作部付、調査広報室、報道制作局報道部、ラジオ局営業部開発課、ラジオ局ラジオ制作部、制作局制作部制作課、報道局スポーツ部及び広報部等の他の部署に配転され、アナウンス業務とは全く異なる業務を行うか、アナウンス業務が含まれていてもその占める割合がごく小さい職務に従事している。

7  控訴人の入社時と同じ昭和三六年五月一日制定実施の被控訴人の就業規則(以下「本件就業規則」という。)には、一二条に「採用された従業員は別に定める資格規程によって、社員、準社員および雇員の資格を取得する。」との規定があるのみで、特別にアナウンサーの資格を定めるような規定はなく、一九条として「会社は、業務上の必要により、従業員にたいし辞令をもって転勤または転職を命ずることがある。」との規定がある。

8  被控訴人とKBC労組との間では、従前から「労働条件に関する協定」が締結されていたが、昭和四五年ころに起きた配転問題を契機として、配転に関する労使交渉が行われ、その結果、昭和五五年二月一日、被控訴人とKBC労組連名の、「配転、転勤に伴う諸取扱に関する協定」と題する「配転・転勤に関する協定書」が作成された(以下、右協定書による協約を「本件労働協約」という。)。本件労働協約には、一条一項に「配転および転勤については、平素から本人の意向を聞き、本人の意向は、できるだけ尊重する。但し、特殊技能を必要とするアナウンス、技術、美術、配車、電話交換および保健室から一般への配転については意向を十分に尊重する。」と、同条六項に「本人が配転および転勤に際し、異議のある場合は、労働組合と原則として協議する。協議ととのわない場合は、会社において発令する。」とそれぞれ規定されている。

二  右認定事実に基づいて判断する。

1  主位的請求について

(一) 控訴人は、控訴人がアナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位にあることの確認を求めるものであるところ、控訴人に右のような地位があるというためには、本件労働契約においてアナウンサーとしての業務以外の職種には一切就かせないという趣旨の職種の限定が合意されることを要し、単に長年アナウンサーとしての業務に就いていたのみでは足りないと解するので、まず、争点1(職種の限定)について判断する。

(二) アナウンサーは、日本語の豊富な知識のもとに、正確な発声や発音に熟達するなど特殊技能を有する者ということはできる。しかしながら、被控訴人の採用時においては音声テストが課されたのみで、アナウンサーとしての特別の技能や資格は要求されておらず、採用後わずか二か月ほどの研修を受けてアナウンス業務に就くのであるから、右時点においては格別の特殊技能があるとまではいいえず、前記のような特殊技能は、その後のアナウンサーとしての実務のなかで次第につちかわれてゆくものであろう。このことは、被控訴人の従業員でアナウンサー以外の特殊技能を要する従業員、例えばディレクターやミキシング業務(複数の映像や音声の混合・調整に関する業務)に従事する社員等についてもいえることであって(〈人証略〉)、ひとりアナウンサーだけに特殊技能の修得、保有が要求されるわけではない。

次に就業規則等をみてみると、本件就業規則に職種限定の定めはなく、本件労働契約締結にあたっても、明示的に職種を限定する合意はなされていない。被控訴人の賃金体系においては、報道局アナウンス部に所属するアナウンサーに限り月額八〇〇円のアナウンス手当が支給されるのみで、アナウンサーと他の従業員との間に差異は設けられていない。本件就業規則には、「会社は、業務上の必要により、従業員にたいし辞令をもって転勤または転職を命ずることがある。」と規定されており、配転対象者からアナウンサーを除外してはいない。本件労働協約においても、「配転および転勤については、平素から本人の意向を聞き、本人の意向は、できるだけ尊重する。但し、特殊技能を必要とするアナウンス、技術、美術、配車、電話交換および保健室から一般への配転については意向を十分に尊重する。」と規定されていて、アナウンサーも配転の対象とされているし、「本人が配転および転勤に際し、異議のある場合は、労働組合と原則として協議する。協議ととのわない場合は、会社において発令する。」と規定され、アナウンサーを除外することなく被控訴人には一般的に配転命令権があることが定められている。そして、現に、被控訴人においては、アナウンサーについても、一定年齢に達すると他の職種への配転が頻繁に行われている。

以上の事情を総合して考えると、アナウンサーとしての業務が特殊技能を要するからといって、直ちに、本件労働契約において、アナウンサーとしての業務以外の職種には一切就かせないという趣旨の職種限定の合意が成立したものと認めることはできず、控訴人については、本件労働契約上、被控訴人の業務運営上必要がある場合には、その必要に応じ、個別的同意なしに職種の変更を命令する権限が、被控訴人に留保されているものと解するのが相当である。

(三) そうすると、本件労働契約が締結された当時、右契約上、控訴人がアナウンサーとしての業務に従事する地位にあったものといえないことは明らかである。さらに、控訴人は長年にわたってアナウンス業務に従事してはいたが、そうであるからといって、当然に、アナウンサーとしての業務に従事する労働契約上の地位が創設されるわけではなく、本件労働契約が職種限定の趣旨に変更されて初めて右のような地位を取得することになるものと解されるところ、控訴人については、本件労働契約の締結後に、右のような職種限定の合意が成立したことを認めるに足りる直接の証拠はないし、前認定の事実経過からいっても右合意の成立は考えられない(控訴人は、予備的請求において、第一次配転に先立ち、前記小林謙一が控訴人に対し報道局情報センターに異動した後もアナウンス業務に従事することを保証したと主張しており、これは職種限定の合意の主張と解されないではない。しかし、前認定の小林謙一の発言自体からいっても、同人が控訴人に対しアナウンス業務に従事することを保証したとまではいえない上、アナウンス業務の激減する部署に異動させるのに、今までなかった、アナウンス業務に職種を限定する合意がなされたとするのはいかにも不自然であって、そこに職種限定の合意を認めることはできない。)。したがって、その余の争点について検討を加えるまでもなく、控訴人の主位的請求は理由がない。

2  予備的請求について

控訴人は、控訴人がアナウンス業務を継続することを要求しうる労働契約上の地位にあることの確認を求めるので、まずその確認の利益の点を検討する。控訴人の右請求の趣旨が文字どおりアナウンス業務を継続することを「要求しうる労働契約上の地位」の確認にあるのであれば、右要求に応じるか否かは被控訴人の自由裁量にかかるものである以上、右の「地位」を確認してみても本件労働契約をめぐる双方当事者間の紛争を根本的に解決する手段として有効適切な方法とは認められないから、不適法な訴えとして却下を免れない。しかしながら、控訴人は、右請求において職種限定の合意がなされたとまではいえないとしても、被控訴人が控訴人に対し、さしあたりアナウンス業務に従事させることを保証する旨を約したから、控訴人にはアナウンス業務に就労することを内容とする、いわゆる就労請求権があるとして、右就労請求権の存在の確認を求めているものと解されないわけではない。そうすると、右の趣旨の限度では、控訴人がアナウンス業務に従事できるかどうかという本件紛争の解決にとって有効かつ適切な確認の請求といえないではないから、右の予備的請求にかかる訴えには一応確認の利益が認められることとなる。

しかしながら、労働契約は、労働者が一定の労務を提供する義務を負い、使用者がこれに対して一定の賃金を支払う義務を負うことに尽きるから、労働契約等に特段の定めのあるときを除き、就労請求権は否定するほかなく、右特段の定めの主張立証もない(控訴人が主張する、配転に際しての、特定の業務に従事させる旨の約束は、右特段の定めにはあたらない。)。

第五結論

よって、主位的請求に関する本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴人の当審における予備的請求もこれを棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秋元隆男 裁判官 池谷泉 裁判官 川久保政德)

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